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次回の横浜飛天双○能

準備中

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過去の横浜飛天双○能

・第一回 かぐや姫・濯ぎ川・経政
・第二回 因幡堂・大会
・第三回 翁・瓜盗人・高砂
・第四回 鶴亀ノ語舞・鶴
・第五回 附子・梟・武悪・龍虎幻想
・第六回 千鳥・道成寺
・第七回 神鳴・一石仙人
・第八回 茶子味梅・唐船
・第九回 双○の能
・第十回 蟹山伏・養老
平成19年9月8日開催
新作能 横浜三時空

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横浜飛天双○能とは

リンク

横浜飛天双○能実行委員会

能はライブだぜ

 雨水は地に達した後、静かに地下へしみ込み、幾重もの層を経て純化され、やがて清冽なる地下水へと姿を変え、人知れず地表へと湧き上がっていく。―武士の文化の体現である「能」も、現在の形になってきた経過はこれと似たようなものらしい。一説によると、遠く東大寺大仏開眼の折にこの国に集った楽士や芸能者達がそのままこの国に住みついた。その者達が育んできた能力が、先の水の如く数百年物時を経て磨かれ、純粋な残滓となって、室町時代末期におもてに現れてきたのが「能楽」なのではないかという。―そうであるにせよないにせよ、純化された「能」の舞台の構成は、まさに陰と陽のせめぎ合いである。冥界と現世の行き来が、大きくかつ又細やかに組み合わさって出来上がっているように思う。
  今回の飛天双○能は、横浜で催される運びとなった。ひるがえってみて、この横浜の地は、神戸と同じように、近代日本に於ける交差点であるといえる。即ち世界中から人と物と情報が入ってきては出ていく場所、人と人とが行き交う"修羅"の場所でもあるのだ。―これは先に述べた「能」の世界に似ている。そして横浜に根をおく我がケンタウロスも、人間性と動物性、理性と本能という二面性が、ハレの日もケの日もなく毎分毎秒交錯しているところであるという点で、根本から通じているのだ。そこに、横浜で行う意味がある。―古き芸能を現代の時代に交錯させ、己が生き様が"修羅"であることを、今一度皆と共に確かめ合い、分かち合いたい。
  飛天双○能の度に掲げてきた枕詞を、もう一度掲げよう。『能はライブだぜ!』

ケンタウロス族長 飯田繁男

双○の「○」は世界を意味します。
  二つの相対する世界―陰と陽、あの世とこの世、善と悪、男と女、南と北、―等の互いの世界をつなぐように、双○能と名付けました。今年より、東京の双○と横浜の双○が結び合う事により、さらに広がりを増すことになるでしょう。

天空から見れば、地球はそれ自体が一つの生命
そこには国境もなく、人種の違いもない。

  そんな思いで、平成2年に「飛天」は発足いたしました。以来既成の枠にとらわれることなく、自在に飛び遊ぶことを旨とし、様々な公演活動を展開してまいりました。
  その活動の基本となる「能」を、お客様をはじめ活動に参加している人々と共に見直し、研鑽の場としたいと念願し、5年前より「飛天双○能」として東京にて公演してまいりましたが、この度、横浜に縁あって「横浜飛天双○能」として開催の運びとなりました。

大倉正之助



お辰さん追善公演
第1回横浜飛天双○能
1997年10月24日(金)午後6時開場 午後6時半開演 於:横浜能楽堂

声明 吉慶漢語 (ききょうかんご)

孤島 由昌

 

観世流能 かぐや姫 (かぐやひめ)

シテ 津村禮次郎
間  若松  隆
大鼓 大倉正之助
小鼓 幸  信吾
笛  内潟 慶三
太鼓 吉谷  潔
地謡 中所 宣夫

かぐや姫
  能の世界に残された、ただ一つの処女地「竹取物語」。どうして世阿弥は「竹取物語」を能に作らなかったか。(「竹取山」「輝姫」などという曲も過去には存在したが、いずれも廃曲。後世の作であろう。)実は、この物語は、名前こそ昔から名高かったけれど、意外にも、世阿弥の世代には殆ど存在が知られていなかった。そうして、江戸時代になってから、再発見され、ようやく本格的に読まれるようになったのだ。それが我々にとって、幸いであったか、それとも不幸であったか…。津村紀三子の原作から四十五年、数回の上演を経て今想をあらためて、「罪」という視座からみつめ直し、口開に「臣下」の語りを創作した初演出で望む。(林望)
 

大蔵流狂言 濯ぎ川 (すすぎがわ)

姑  茂山千之丞
婿  茂山七五三
女房 丸石やすし

濯ぎ川(ススギガワ)
  一九五二年に、飯沢匡によって翻案創作された新作狂言です。原点はフランス中世のファルス「洗濯桶」で、もともとは文学座のアトリエ公演用の狂言用語の台本として書かれたものです。
  さて、『濯ぎ川』の内容ですが、近年の新作ですので粗筋をお話しするまでもない、大変分かり易い現代的なストーリーです。古典狂言の中にも沢山ある『恐妻もの』とも言うべき部類に入る作品で、「恐妻もの」に登場する女房は例外なく強い女に描かれています。これを狂言の中では「わわしい女」と形容していますが、その「わわしい女房」と彼女の母親(姑)にこき使われる哀れな亭主のチョッとしたレジスタンスの物語。―それがこの『濯ぎ川』です。
 

薩摩琵琶 青山 (せいざん)

琵琶 荒井姿水

 

喜多流能 経政 (きよまさ)

シテ 松井  彬
ワキ 安田  登
大鼓 大倉正之助
小鼓 幸  信吾
笛  内潟 慶三
後見 長田  驍
地謡 大村  定
   梅津 忠弘
   他 

経政(経正)つねまさ
  清盛の甥にあたる平清正は、平敦盛の兄である。
  彼は幼少の時から仁和寺の守覚法親王に愛され、またその音楽の才能は、琵琶の名器・青山(せいざん)を預け下されるほどであった。
  法親王の命で清正の師である僧都行慶(ワキ)が管絃講で死者を弔う。現れた清正の霊(シテ)は、往時をなつかしんで愛器を弾ずるんが、討死の無念がよみがえり、たちまち修羅道の苦に巻き込まれていく。その有様をいたく恥じる描画にも、この曲の特色がある。修羅物には珍しい一場物の小品能だが、美しく哀切な佳作である。
 

同行二人

大鼓 大倉正之助
太鼓 金春 国和

 


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